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アップル(Apple Inc.)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州クパティーノに本社を置く、インターネット、デジタル家電製品および同製品に関連するソフトウェア製品を研究・設計・製造・販売する多国籍企業です。旧名はアップル・コンピュータ(Apple Computer Inc.)と言いました。 ハードウェア製品として、スマートフォンのiPhone、タブレット型情報端末のiPad、パーソナルコンピュータのMacintosh(Mac)シリーズ、携帯音楽プレーヤーのiPodシリーズが有名です。 ソフトウェア製品は、オペレーティングシステムのOS X・iOSや、統合ソフトウェアのiLifeなど。クラウドサービスとしては、iCloudなどの研究・開発・販売を行っています。 直営店のApple StoreとApple Online Storeにおいてハードウェアとソフトウェアの販売を行っている他、iTunes Storeでは、音楽、映画、テレビ番組、アプリ(App Store)、電子書籍、ポッドキャストと広範囲のデジタルコンテンツのダウンロード販売を提供しています。 現在の売り上げの半分以上を占めるのは創業事業のパソコン部門ではなく、iPhone及びiPadを中心とした携帯端末事業で、それにiPodを中心とした音楽事業が続いています。また、専門の音楽・映画産業向けソフトウェア製品の大手の提供元でもあります。 1977年1月3日に設立されて以来“Apple Computer, Inc.”(アップルコンピュータ)を名乗っていたが、2007年1月9日 (PST) に主力事業の変化を反映させ、現社名の“Apple Inc.”(アップル)に改称した。そして、2011年8月10日、ニューヨーク株式市場の終値で、初めて時価総額世界一になりました。

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1974年、大学を中退しアタリ(会社名です)の技師をしていたスティーブ・ジョブズと、ヒューレット・パッカードに勤務していたスティーブ・ウォズニアック(以下ウォズ)の2人は、地元のコンピュータマニアの集まりだったホームブリュー・コンピュータ・クラブ(「自家醸造」コンピュータ・クラブ)に参加するようになりました。 1975年にインテルが、i8080をリリースすると、Altair(アルテア)8080というコンピュータ・キットが早速発売されるようになり人気を博しました。 ウォズは、8080より、MC6800の流れを汲むMOSテクノロジー社のMOS 6502の方が安く、しかも簡易な回路のコンピュータができると確信し、1975年10月から半年間かけて設計、1976年3月に最初のプロト機を完成させました。そして、ホームブリュー・コンピュータ・クラブでデモを行いました。 ジョブズは、自分達で売る事を考えていたが、ウォズはヒューレット・パッカードの社員であったので「開発した製品を見せなければならない」と上司にこの機械を見せたものの、製造販売を断られ、自分達で売り出すこととなりました。 ジョブズは、マウンテンビューにあったコンピュータショップのバイトショップのオーナーであったポール・テレルに基板(メインロジックボード)を見せました。テレルは非常に強い興味を持ち、30日以内に50台を納品できたら、現金で代金を支払うと提案。 そうしてジョブズは、愛車のワーゲンバスを1500ドルで売り、ウォズはヒューレット・パッカードのプログラム電卓を250ドルで売り払い、100台分の部品を集めた。さらにアタリで製図工をしていたロン・ウェインも株式10%分の権利を持つことを条件として参加しました。ちなみに彼はApple Iのマニュアルなどを作成する仕事に従事していました。 彼らは本格的に基板、マニュアルの製作にあたりました。このとき、彼らの会社の名前はアップルとなりました。この名前の由来には諸説があって、代表的なものだけでも、ジョブズがビートルズを尊敬(ビートルズのレコード会社名がアップル)していたからという説、同じくジョブズがフルーツダイエットをしていた時期があって、そのころリンゴだけ食べればシャワーを浴びる必要が無いと考えていたことからという説、リンゴは知恵の実で良いイメージであるという説、電話帳の最初のほうに掲載したかった(頭がA)からという説、現在のコンピュータの概念を初めて提唱したアラン・チューリングが青酸カリ入りリンゴで自殺したからという説 など、多くの仮説・俗説があります。 そして、これらの仮説に対して、米Apple社は公式な説明をしていません。 一方、ウォルター・アイザックソンが著述したジョブスの公式自伝『スティーブ・ジョブズ』では、ジョブス自身の言葉として、「果食主義を実践していたこと、(名前を決める打ち合わせの直前に、知人ロバート・フリードランドの)リンゴ農園の剪定作業から帰ってきたところだったこと、元気が良くて楽しそうな名前であること、怖い感じがしないこと、コンピュータの語感が少し柔らかくなること、電話帳でアタリより先に来ること」が理由であったと述べています。 また最初に会社のロゴをデザインしたのは、前述したロンであるそうです。 1976年6月に、バイトショップにApple Iを50台納品。666.66ドルの価格がついたが、あまり売れ行きは良くありませんでした。 失望したロンは10%の配当権を放棄する代わりに、800ドルを受け取って会社を去りました。しかし8月を過ぎると売上は好転し、ジョブズとウォズは昼夜時間を惜しんでApple Iを製造しました。ロンはその後、他会社に勤めるなどし、2010年現在はネバダ州で年金生活を送っています。放棄した10%の権利を2010年まで保有していれば、200億ドル以上の資産を得ていたはずだということです。しかし彼は辞めたことに関しては後悔していないとのことです。